八月十日過ぎのこと、小督の消息を風の便りに聞いた高倉天皇は、夜の警護の者を呼び出し、弾正大弼(だんじょうだいひつ)源仲国に、捜索を命じます。しかし、漠然と嵯峨のあたりに居るというだけで有効な手掛かりはありません。仲国は小督殿が内裏で琴を弾かれた時に笛の役で呼ばれたことを思い出します。もしかしたら高倉天皇を思い出して、琴を弾いているかもしれない、琴の音を頼りに探せるかもしれないと、高倉天皇からの文と、馬寮の馬を賜り、嵯峨の辺りをくまなく探し回りました。
しかし、嵯峨を探してもその様な女房は見当たりません。寺に居るのではと、釈迦堂をはじめ、諸堂を見回りましたがやはり見当たらず、なかばあきらめかけ、嵐山の法輪寺の方へ向かいます。すると、亀山(今の京都市右京区嵯峨にある山)の近く、松が一かたまり生えている方から、かすかに琴の音が聞こえました。
【本文】峰の嵐か松風か 尋ぬる人の琴の音か 覚束なくは思へども 駒を速めて行くほどに 片折をり戸したる家に 琴をぞ弾き住まされたる
【意訳】峰の嵐か松風か、それとも探している小督殿の琴の音か、はっきりとは分からないが、馬を走らせて行くと、片折り戸の門の家で、琴を弾いている音がします。
小督の中では一番有名な場面だろう。季節は中秋の頃、嵯峨の一叢の松林があるあたり、と設定されている。片折戸の家で箏を弾く袿姿の小督に、馬寮の馬に乗り、笛を吹く荻重ねの狩衣姿の仲国。仲国は小督を尋ね、対応する子女房。仲国の服装は、内裏から急いで出発したと考えると深緋の武官装束が良かったかもしれない。でも、それでは物々しすぎる。仲国の馬を引くのは狩衣姿の少年としたが、実際には白丁だろう。
家については、かなりいい加減だ。本文には、仲国と小督との間に、片折戸、縁側、妻戸が、設定されている。小督の親の官位を考えても、も少し立派な隠れ家だと思うが、妻戸と縁側とを省略し、なんとかこの小さな画面に入れ込もうとしたら、このような寂しい住いになってしまった。
古典文学で、巡り会う場面には何かと松(待つ)が登場する。これもそれに習い垣根越しに松を描いた。
曲は想夫恋。仲国は小督殿の爪音と確信します。笛を少しばかり鳴らして、門を叩くと、幼い小女房が顔だけ出して、ここは御門違いと取り次いでくれません。半ば強引に妻戸口に回り、高倉天皇からの文を、取り次ぎの女房に渡します。小督殿が文を見ると、まさに高倉天皇からの文でした。小督殿は女房装束を一襲と返事を仲国へ渡します。仲国は、小督殿から話を聞き、出家をしてしまうのではないかと恐れ、見張りをつけて内裏へ戻ります。
夜は明け始めましたが、高倉天皇は昨晩と同じ場所で悲しんでいました。仲国は小督殿の文を高倉天皇へ渡します。高倉天皇は、たいへんお喜びになり、今夜、小督殿を連れ戻すよう命じます。