2020年4月30日木曜日

平家物語より小督〈六〉

 二人の間に姫宮が一人お生まれなされました。その事が入道相国の知ることとなり、小督殿を捕らえ、尼にして追放します。

平家物語より小督の貝合わせ

【本文】歳二十三 出家はもとより望みなりけれども 心ならず尼になされ 濃き墨染めにやつれ果て 嵯峨の奥にぞ住まれける むげにうたてき事どもなり

【意訳】歳は二十三。出家はもとからの望みではありましたが、意思に反して尼にされて、濃い墨染めの衣にやつれ果て、嵯峨野の奥に住みました。まったくもって悲しいことでした。

 季節は冬。冬らしいアイテムは何も揃えてないが、冬だと思っていただきたい。場所は某所、または嵯峨の住いか。これから髪を落とす所だ。この場面も資料が無く、いい加減な所が多い。髪を切るのが、僧なのか尼なのか判らない。尼だとしたら、坊主頭なのか尼削ぎなのか判らない。でも坊主頭なら無難かな、くらいの意識で描いた。美麗几帳はこの場面には似つかわしくないかも知れないが、せめてものはなむけとして描いた。

 その二十数年後の、元久2年(1205年)に藤原定家が、病床の小督を嵯峨で見舞った記録が残る。

平家物語より小督〈一〉〈二〉〈三〉〈四〉〈五〉〈六〉

2020年4月29日水曜日

平家物語より小督〈五〉

平家物語より小督の貝合わせ

【本文】小督の殿参るまじき由のたまへども やうやうにこしらへ奉りて 車に乗せ奉りて 内裏へ参りたりければ かすかなる所に忍ばせて 夜な夜な召され参らせけるほどに 姫宮御一所出で来させ給ひけり

【意訳】小督殿は内裏へは戻るわけには行かないとおっしゃいましたが、なんとか説得し、車にお乗りいただき、内裏へ参りましたら、人目の付かない所に隠れ住まわせて、夜な夜な高倉院の許へ参らせているうちに、姫宮が一人お生まれなされました。

 帝と小督の再会の場面。場所は内裏某所。清涼殿と行きたかったが、そんな目立つ所では会えないだろう。人払いをされていたとしても中宮徳子の目は光っている、はず。襖絵は紅葉、冬を迎える前の、一時の華やかな時を表現したかった。妻戸の外では見張り役の近衛武官。
 裳唐衣姿の小督。分かりづらいが小督の表着の模様も紅葉にした。描いている時、「白腰の裳」がよくわからなかった。たぶん腰のあたりが白い下濃の裳なのだろうが、それじゃ裾は何色なのか? 後日の課題で今回は白にした。

平家物語より小督〈一〉〈二〉〈三〉〈四〉〈五〉〈六〉

2020年4月28日火曜日

平家物語より小督〈四〉

 八月十日過ぎのこと、小督の消息を風の便りに聞いた高倉天皇は、夜の警護の者を呼び出し、弾正大弼(だんじょうだいひつ)源仲国に、捜索を命じます。しかし、漠然と嵯峨のあたりに居るというだけで有効な手掛かりはありません。仲国は小督殿が内裏で琴を弾かれた時に笛の役で呼ばれたことを思い出します。もしかしたら高倉天皇を思い出して、琴を弾いているかもしれない、琴の音を頼りに探せるかもしれないと、高倉天皇からの文と、馬寮の馬を賜り、嵯峨の辺りをくまなく探し回りました。
 しかし、嵯峨を探してもその様な女房は見当たりません。寺に居るのではと、釈迦堂をはじめ、諸堂を見回りましたがやはり見当たらず、なかばあきらめかけ、嵐山の法輪寺の方へ向かいます。すると、亀山(今の京都市右京区嵯峨にある山)の近く、松が一かたまり生えている方から、かすかに琴の音が聞こえました。

平家物語より小督の貝合わせ

【本文】峰の嵐か松風か 尋ぬる人の琴の音か 覚束なくは思へども 駒を速めて行くほどに 片折をり戸したる家に 琴をぞ弾き住まされたる 

【意訳】峰の嵐か松風か、それとも探している小督殿の琴の音か、はっきりとは分からないが、馬を走らせて行くと、片折り戸の門の家で、琴を弾いている音がします。

 小督の中では一番有名な場面だろう。季節は中秋の頃、嵯峨の一叢の松林があるあたり、と設定されている。片折戸の家で箏を弾く袿姿の小督に、馬寮の馬に乗り、笛を吹く荻重ねの狩衣姿の仲国。仲国は小督を尋ね、対応する子女房。仲国の服装は、内裏から急いで出発したと考えると深緋の武官装束が良かったかもしれない。でも、それでは物々しすぎる。仲国の馬を引くのは狩衣姿の少年としたが、実際には白丁だろう。
 家については、かなりいい加減だ。本文には、仲国と小督との間に、片折戸、縁側、妻戸が、設定されている。小督の親の官位を考えても、も少し立派な隠れ家だと思うが、妻戸と縁側とを省略し、なんとかこの小さな画面に入れ込もうとしたら、このような寂しい住いになってしまった。
 古典文学で、巡り会う場面には何かと松(待つ)が登場する。これもそれに習い垣根越しに松を描いた。

 曲は想夫恋。仲国は小督殿の爪音と確信します。笛を少しばかり鳴らして、門を叩くと、幼い小女房が顔だけ出して、ここは御門違いと取り次いでくれません。半ば強引に妻戸口に回り、高倉天皇からの文を、取り次ぎの女房に渡します。小督殿が文を見ると、まさに高倉天皇からの文でした。小督殿は女房装束を一襲と返事を仲国へ渡します。仲国は、小督殿から話を聞き、出家をしてしまうのではないかと恐れ、見張りをつけて内裏へ戻ります。
 夜は明け始めましたが、高倉天皇は昨晩と同じ場所で悲しんでいました。仲国は小督殿の文を高倉天皇へ渡します。高倉天皇は、たいへんお喜びになり、今夜、小督殿を連れ戻すよう命じます。

平家物語より小督〈一〉〈二〉〈三〉〈四〉〈五〉〈六〉

2020年4月27日月曜日

平家物語より小督〈三〉

平家物語より小督の貝合わせ

【本文】入道相国 この由を伝へ聞き給ひて 中宮と申まうすも御娘 冷泉の少将もまた婿なり 小督の殿に 二人の婿を取られては 世の中よかるまじ いかにもして 小督の殿を召し出だいて失はん とぞのたまひける

【意訳】入道相国(平清盛)は、これを伝え聞いて、「中宮も娘なら、冷泉少将(隆房)もまた婿だ。小督殿に、二人の婿(高倉天皇と隆房)を取られては、世の中の秩序が保てない。どうにかして、小督殿を呼び出して亡き者にしてしまおう」と言われました。

 季節は夏。襖絵に蓮を描き季節を表現してみた。場所は清盛の邸宅、西八条殿の一室。僧侶姿の出家した清盛に、夏の直衣姿の隆房卿。隆房卿は清盛の五女を正室としている。平家物語には清盛と隆房卿が会う場面は見当たらない。隆房卿が小督の暗殺を望んでいるはずはないので、実際に会って相談などはしていないであろう。私の妄想で無責任ではあるが、ここは清盛が誰かと密談をしている場面としよう。そして、それを盗み聞きする袿姿の女房たち。奉仕中では無いので唐衣は着せていない。

 これが小督殿の耳に入り、この様な騒ぎになり、高倉天皇に申し訳ないと思ったのか、内裏から姿を消してしまいます。高倉天皇は、小督殿の行方が知れないので、昼も夜も悲しみに沈みます。

平家物語より小督〈一〉〈二〉〈三〉〈四〉〈五〉〈六〉

2020年4月26日日曜日

平家物語より小督〈二〉

 この女房は、宮中でも比類ない美人で、琴の名手でもありました。藤原隆房卿がまだ少将の時に見初めた女房で、最初はまったく相手にされませんでしたが、文を重ねてゆき、やっと思いを遂げ、心を通わせることが出来ました。しかし、今になって高倉天皇に召し出され、隆房卿は、どうしても忘れることが出来ません。そこで、小督殿の住む局に忍び込み、歌を詠んで投げ入れます。

平家物語より小督の貝合わせ

【本文】君の御ため 御後ろめたしとや思はれけん 手にだに取つても見給はず やがて上童に取らせて 壺の内へぞ投げ出ださる。

【意訳】高倉天皇を思い、後ろめたいと思われて、手にさえ取らず見ることなく、すぐに殿上童に取らせて、中庭に投げ出させました。

 季節は晩春、小督の住む局の籬には満開の山吹が咲く。場所は内裏の後涼殿を想定した。小督に未練を詠んだ隆房卿。嫌いになって別れたのでは無いので、困惑する袿姿の小督。文を投げ返す殿上童を描いた。
 ひとつ断っておかなければいけない。これを描いた頃は、有職故実の知識が無かった。今でもあまり無いことに変わりは無いが、多少学習はしたので、気付いた間違いは正直に申告し、修正したい。もしかしたら、これを手本にと思っていらっしゃる方がいるかもしれない。公開するには正確を期したい。他の作品にもたくさん有る、と思うので、もし、気付かれた方は教えて頂きたい。
 この時隆房卿は24歳くらい。まだ冠直衣の姿での参内は許されていないはずだと思う。後宮に忍び込むには、近衛中将の装束が良かったか。まだある。殿上童は男児である。髪形は美豆良が一般的だと思う。

 隆房卿は、人に気がつかれては一大事になると、詠んだ歌を拾い上げその場を立ち去り、小督殿に見限られたと深く悲しみました。

平家物語より小督〈一〉〈二〉〈三〉〈四〉〈五〉〈六〉

2020年4月25日土曜日

平家物語より小督〈一〉

 話をしていて、源氏絵の題材は、ほぼ源氏物語からいただいていますと答えたら、平家物語は描かないのですかと聞かれたことがある。真意がわからないので、女子供の手慰みなので荒っぽい題材はちょっとと答えたが、はっと思い返した。平家物語は軍記物で有名ではあるが、たくさんの話の中には柔らかい話もある。その中でも小督(こごう)の話しは一番よく知られているだろう。内容も独立しており、わかりやすい。巻第六の小督より、六つの場面を選んで描いてみた。

 平家物語の凄いところは、登場人物が、ほぼ実在の人物であること、そして、実際に起きた出来事をもとに書かれていることだと思う。小督の話も例外ではない。清盛や高倉天皇は当然の事ながら、小督や、仲国なども実在した人物だ。しかも、藤原定家やその姉は、実際に小督に会ってその記録を残している。
 高倉天皇の母親に女房として仕えていた、藤原定家の姉が書いた、建春門院中納言日記に、高倉天皇に仕えていた時の小督の容姿を、次のように伝えている。

「山吹のにほひ、青き単衣、えび染の唐衣、白腰の裳着たる若人の、額のかかり、姿よそひなど、人よりは殊に花々しと見えしを、いまだ見じとて、人に問ひしかば、小督の殿とぞ聞きし」

 この記述により小督の装束は、緑色の単に、山吹色のグラデーションで襲袿、深い赤の唐衣で統一してみた。
 唐衣のえび染は、色名だと薄赤紫色、重ねだと表蘇芳の裏縹で、色が違う。どちらを使おうかと悩みたい所だが、私はあまり悩まない。物にもよるが、色をつけてゆくと、薄赤紫色が何と無くしっくりこない場合が多い。蘇芳は高貴な色だ。えび染めと記述されていると大概は赤を使っている。
 また、季節を春から冬へ移り変わる様に描いてみた。

平家物語より小督の貝合わせ

【本文】主上は 恋慕の御涙に思し召し 沈ませ給ひたるを 申し慰め参らせんとて 中宮の御方より 小督の殿と申す女房を参らせらる。

【意訳】高倉天皇は、最愛の寵姫を亡くし恋慕の涙を流して、沈んでおられましたが、慰め申し上げようと、中宮(清盛の娘、後の建礼門院徳子)方より、小督殿という女房を参らせました。

 最初は春。高倉天皇へ小督がお目通りする場面だ。描かれた桜はしょぼいが、満開の桜の下だと思っていただきたい。源氏雲はそれを象徴している。場所は、内裏の某所。繧繝縁の畳の上が、小葵紋のお引き直衣姿の高倉天皇。お約束で、顔は御簾で見えない。右に控える女性が裳唐衣姿の中宮徳子。手前、簀子縁の上が小督、手狭なので裳は見えていない。葵の前(実在しない)が亡くなり、涙に沈む帝を慰めようと、中宮が琴の名手を引き合わせる。平家物語はずいぶんと女々しい帝として高倉天皇を伝えている。しかし、資料集めをしていて驚いたのが、皆ずいぶん若いということ。この時、仮に小督を18歳とすると、建礼門院20歳、帝にいたっては14歳、まだ子供だ。この2年後に鹿ヶ谷の事件が起きる。ものすごい時代に生きた人達だ。

平家物語より小督〈一〉〈二〉〈三〉〈四〉〈五〉〈六〉

2020年4月24日金曜日

小さな筆架

 私の使っている筆はすこぶる小さい。絵を描くとき、簡単な隈などは片方を口にくわえて作業している。しかし、何本か持ち替える時はそうもいかない。また、最近になって人に教える機会ができた。その時に筆を口にくわえるのは見た目も悪いし、このご時勢には衛生的でない。気をつけるようにはしているが、習慣とは恐ろしいもので気がついたら筆をくわえている。嬉しそうに筆をくわえる姿はまるで犬だ。少なくとも、生徒さんにはそのように見えているだろう。
 かねてから筆架を使うようにはしていたが、なかなか習慣になっていない。でも取りあえずは持ってはいる。この時期、バイト先も出勤停止になり、みっちり制作に励もうと思っているので机のまわりを整理して、なるべく筆架を使うよう習慣づけてみようと思う。

筆架に見立てた目貫

 筆架として使っているのは片目貫と呼ばれている物だ。もともとは刀の拵えの柄(手で握る所)の装飾金具、二つで一組の目貫として作られたが、片方が紛失し、煙草入れの金具として再利用されていた物だ。昔は二、三千円で手に入ったが、最近はちょっと良いものだと結構な値段だ。
 両方とも赤銅製。左は獅子が二匹遊ぶ姿、右は蛤三個。典型的な後藤の図柄だ。立ちが高く、両方に二個所の窪みがあるので筆架に見立てた。場所を取らず使いやすい。行き詰まったらぼんやり眺めて、昔はこんな仕事を当たり前にやっていたんだと思う。私には重宝している。