2019年5月3日金曜日

御国譲り

 5月に入って元号が変わった。東アジアには、中国の影響で元号を使っていた国もあったが、今では日本だけになってしまったらしい。

 かつては天皇の即位の他にも色々な事態で改元したらしいが、現在は皇位の継承があった場合に限り元号を改めるそうだ。故に、前回は昭和天皇崩御という悲しみの中で行われた改元だが、今回は違う。ちょっとしたお祭り騒ぎと言ってもよい。経済効果だってかなりあるかもしれない。今までも、今後も、滅多にないおめでたい改元だ。

土屋安親の鐔

 吉兆を現すめでたい動物といえば「亀」と言うのは異論のないところだろう。この写真、亀と言われれば亀に見えなくも無いが、ちょっと変わった亀だ。
だいぶになるが、持ち主の好意でこの亀を直接手に取り鑑賞する機会を得た。少し大きめの桐の箱からつまみ上げた時、泥水の中から亀が浮かび上がった様な錯覚を覚えた。

 全ての形が写実では無く完全に抽象化されている。全体に強い線は無く軟らかい槌目の強弱で地むらを作り、ほぼ全ての形を表現している。ほかは頭と手足にアクセントとして小さな点が打たれているだけだ。槌目跡の窪んだ部分は黒く色揚げされ、隈取りの様な陰影を作っている。甲羅の模様は中央の高い所だけ描かれ両脇はぼかされている。それが私には、甲羅の高い所は水面に現れ、縁は濁った水の中にだんだんに沈んで見えなくなり、全体の形はうっすらとシルエットだけになっているように見えた。
金属の造形で、水を表現しようとしたのだろうか。


 私の独断で言えば、絵描きが表現したいものベスト3に、光、空気、水があると思う。この作者の他の作品に、光を表現しようとしたのでは無いかと思われる千鳥の図や、大気を表現しようとしたと思われる木賊刈りの図がある。水を表現しようと思っても不思議では無いと思う。

土屋安親の鐔
亀図鐔
変り形 真鍮地 槌目 容彫 両櫃孔 縦81mm 横78mm
(データは鐔鑑賞辞典によった)

 この作者は土屋安親(1670~1744)。江戸中期の金工師だ。刀装小道具が主だが、根付や喫煙具など色々なものを作っている。小川破笠との印籠コラボだってある異色の金工師だ。この鐔は、作域の広い安親の作品の中で比べても珍しい作りであり、そもそも鐔というものの中でもかなり変わった鐔だと思う。細部の技術では無く全体の形の面白さ。300年経っても古臭く見えない、そして大胆なデザイン。このオブジェとも言える鐔は、安親がアルチザン(artisan/職人)では無く、アーチスト(artist/芸術家)と評価されるに不可欠な作品では無いだろうか。

 この鐔には、「一生一枚作之(これをつくる)」と添銘がある。
 色々な考えがあると思うが、安易に、これが傑作だと刻銘したとは思えない。物を作る人間として、おおかたの人は、いまの作品にはなかなか満足できず、次の作品にさらなる努力をしようとするはずだ。現に安親も、千鳥や木賊刈りなど同じ題材を色々な構図や素材で繰り返し制作を試みている。
 それでは、一生一枚をどう解釈するか、色々な意見があると思うが、素直に、この鍔が完成した時、この初めての野心作は今後、これ以上の物は作るのが難しいと、わざわざ、一生一枚作之と添銘を刻んだのだと思う。

 一つ作品が完成する度に、次こそはもっとまともな良いものを作ろうと毎回思う我が身には、この、安親の「一生一枚作之」は、添銘の覚悟みたいなものが非常に重く感じ、二度と作れないものを作り得たという充実感が羨ましい。私に一生一枚作之といえる作品が作れるだろうか。

 裏は丸ノミを模した様な鏨で鋤いた様にしている。まるで能面の裏の様だ。しかも、色も真っ黒だ。
土屋安親の鐔

 亀がおめでたいのは長寿だからだろうが、実直そうで、のんびりとしてるが意思の強そうな風貌も一役かっているだろう。平成もそれなりに良い時代だったと思うが、令和が正直な良い時代になればと思う。

 鐔を鑑賞し大振りの箱へ戻すと、放生会で自由の身の上となり、水の中に沈んでゆくように感じるのは私だけだろうか?

 しまった! 二回目で、取って置きの記事を使ってしまった。