匂宮は中の君と思いを遂げたが、その身分ゆえ自由な行動は取りづらく、なかなか宇治には行けないでいた。十月上旬頃。薫は、網代も面白い時期だろうと匂宮を誘って、宇治への紅葉狩りを計画する。途中で宇治の山荘へ中宿りすることを決め、姫君たちに匂宮が立ち寄る事を伝えます。姫君達は屋敷を整え匂宮を待ちました。
【本文】
舟にて上り下り おもしろく遊びたまふも聞こゆ ほのぼのありさま見ゆるを そなたに立ち出でて 若き人びと見たてまつる 正身の御ありさまは それと見わかねども 紅葉を葺きたる舟の飾りの 錦と見ゆるに 声々吹き出づる物の音ども 風につけておどろおどろしきまでおぼゆ
【意訳】
舟で上ったり下ったりして、賑やかに合奏なさっているのが聞こえます。ちらちらとその様子が見えるのを、そちらの方へ出て、若い女房たちは見物なさいます。ご本人のお姿は、その人と見分けることはできませんが、紅葉を葺いた舟の飾りが、錦の様に見え、様々に吹き出した笛の音が、風に乗って騒々しくらいに聞こえます。
しかしこの日も匂宮のもとへ宮中から大勢の人が訪れ、宇治の山荘へ訪れることはかないませんでした。
宇治の山荘から見える船遊びの様子を少し俯瞰させて描いてみた。椎本でもそうだったが、この時代にどんな舟があったか調べて見たがよくわからなかった。本願寺本三十六人家集に舟の絵があるが、ここで扱うには少し小さい様な気がする。と言っても、龍頭鷁首の様な大掛かりなものとも思えない。屋形船の様な舟なんじゃ無いかなとは思うが、適当な資料が見当たらない。結局どういう形か判らなかったので、舟が小さく見える構図にした。
「貝覆い貝」とは私の造語だ。よく言われる「貝合わせ」とは、珍しい貝を持ち寄り歌を読み合う物合わせの遊戯を指すことが多い。一対の貝を合わせて遊ぶ遊戯は貝覆いと言い、両者は西行法師の時代から混同されていた。website を立ち上げたさい、何か一言で検索サイトに引っかかる言葉はないかと考えて、貝覆いに使う貝だから「貝覆い貝」という言葉を作った。正確には「かひおほひかひ」。口を噛みそうな言葉になってしまった。
私の描いた貝は「貝覆い貝」と呼ばれたいと思っている。とか言いながら、面倒だと自分でも貝合わせと言っている。内輪で話している時はほとんど「貝合わせ」だ。人から言われると少し気恥ずかしい時もある。自分でもまだどこかに自信の無いところがあるのだろう。でも、たくさんの人に私の「貝覆い貝」を見てほしいと思う。