2021年4月27日火曜日

源氏物語 第四十七帖 総角より 薫、紅葉を葺いた舟で遊ぶ

 匂宮は中の君と思いを遂げたが、その身分ゆえ自由な行動は取りづらく、なかなか宇治には行けないでいた。十月上旬頃。薫は、網代も面白い時期だろうと匂宮を誘って、宇治への紅葉狩りを計画する。途中で宇治の山荘へ中宿りすることを決め、姫君たちに匂宮が立ち寄る事を伝えます。姫君達は屋敷を整え匂宮を待ちました。

源氏物語 第四十七帖 総角の貝合わせ

【本文】
舟にて上り下り おもしろく遊びたまふも聞こゆ ほのぼのありさま見ゆるを そなたに立ち出でて 若き人びと見たてまつる 正身の御ありさまは それと見わかねども 紅葉を葺きたる舟の飾りの 錦と見ゆるに 声々吹き出づる物の音ども 風につけておどろおどろしきまでおぼゆ

【意訳】
 舟で上ったり下ったりして、賑やかに合奏なさっているのが聞こえます。ちらちらとその様子が見えるのを、そちらの方へ出て、若い女房たちは見物なさいます。ご本人のお姿は、その人と見分けることはできませんが、紅葉を葺いた舟の飾りが、錦の様に見え、様々に吹き出した笛の音が、風に乗って騒々しくらいに聞こえます。

 しかしこの日も匂宮のもとへ宮中から大勢の人が訪れ、宇治の山荘へ訪れることはかないませんでした。

 宇治の山荘から見える船遊びの様子を少し俯瞰させて描いてみた。椎本でもそうだったが、この時代にどんな舟があったか調べて見たがよくわからなかった。本願寺本三十六人家集に舟の絵があるが、ここで扱うには少し小さい様な気がする。と言っても、龍頭鷁首の様な大掛かりなものとも思えない。屋形船の様な舟なんじゃ無いかなとは思うが、適当な資料が見当たらない。結局どういう形か判らなかったので、舟が小さく見える構図にした。

 「貝覆い貝」とは私の造語だ。よく言われる「貝合わせ」とは、珍しい貝を持ち寄り歌を読み合う物合わせの遊戯を指すことが多い。一対の貝を合わせて遊ぶ遊戯は貝覆いと言い、両者は西行法師の時代から混同されていた。website を立ち上げたさい、何か一言で検索サイトに引っかかる言葉はないかと考えて、貝覆いに使う貝だから「貝覆い貝」という言葉を作った。正確には「かひおほひかひ」。口を噛みそうな言葉になってしまった。
 私の描いた貝は「貝覆い貝」と呼ばれたいと思っている。とか言いながら、面倒だと自分でも貝合わせと言っている。内輪で話している時はほとんど「貝合わせ」だ。人から言われると少し気恥ずかしい時もある。自分でもまだどこかに自信の無いところがあるのだろう。でも、たくさんの人に私の「貝覆い貝」を見てほしいと思う。

宇治十帖 〈橋姫〉〈椎本〉〈総角〉〈早蕨〉〈宿木〉〈東屋〉〈浮舟〉〈蜻蛉〉〈手習〉〈夢浮橋

2021年4月25日日曜日

源氏物語 第四十六帖 椎本より 薫、八の宮邸を訪れる

 如月の二十日頃。匂宮は初瀬詣の帰途に夕霧の宇治の別荘へ中宿りに立ち寄られました。薫に歓待され賑やかに管弦を催し遊びます。その笛の音は、対岸の八の宮の山荘まで聞こえました。薫はかねがね八の宮の山荘へ伺いたいと思っていました。そこへ八の宮より文が届きます。薫は桜の花が咲き乱れる中、管弦の上手な公達を誘って舟の上で酣酔楽を演奏しながら八の宮の山荘へ向かいました。

源氏物語 第四十六帖 椎本の貝合わせ

【本文】
中将は参うでたまふ 遊びに心入れたる君たち誘ひて さしやりたまふほど 酣酔楽遊びて 水に臨きたる廊に造りおろしたる階の心ばへなど さる方にいとをかしう ゆゑある宮なれば 人びと心して舟よりおりたまふ

【意訳】
 中将の薫は対岸へお伺いになさります。遊びに夢中になっている公達を誘って、棹さしてお渡りになる間は、酣酔楽を合奏なさいまして、水に臨んだ廊に造りつけてある階段の意匠などは、その方面ではたいそう凝った趣向の、由緒のある宮邸なので、人びとは心して舟からお下りになります。

 この頃の作品をいま素直に見て感じるのは、お世辞にもあまり上手じゃない。しかし、これを描いた頃は多分これで精一杯だった。わずかだが下手なりに懸命さも感じる。たぶん。最初の頃なんて皆んなそんなものだろう。どうしようも無いのは、なんとも無謀な絵の内容だ。

 隆能源氏から構図を参考にすることは前回書いた。それはあくまでも止むを得ない話であって、本心は、全て自分の構図、自分の絵で描きたいと思っていた。それには有職故実の知識が無く、本の読みが足りなかった。まず、舟はこれでよかったのか? 竿を持ってるのは誰だ、貴族なのか船頭なのか? 楽器を演奏しながらなのだが、だれも楽器を手にしていない。唯一の楽器は屋外で琴、しかも七弦の琴。本文にもあるが、ここで奏でるのはよく音の通る管楽器だろう。弦楽器は山荘に到着してからだ。
 いま見直すと色々見たく無いものが見えて来る。ここの場面は、色々な資料の中から作者不詳の扇面画を参考に描いたと思う。今思うとなんとバカなことをしたものかと思う。

 あと一つ、ここで描きたくても描けなかったのは、満開の桜だ。本文には「散る桜あれば今開けそむる」とある。「桜咲くさくらの山の桜花散る桜あれば咲く桜あり」この歌からの引用とのことだが、そんな桜が咲く中での舟遊び、このゴージャスな感じが全くしない。これを描いた時は色々未熟で仕方ないと思う。しかし、自分なりに上手くなりたいと思いずっと描いてきた。最近少し上手にはなってきたが、今でも思うような絵はなかなか描けないものだと思う。

 じゃあ、どんな絵が描きたいかというと、そぉっと貝を開いて中を覗く。すると、芝居の浅葱幕が柝の音と共にパーンと振り落とされ、パァッと明るくなったら満開の桜が咲いている。その瞬間、ほわっと暖かくなったような気がする。貝を開いて見た時に、そんな感じのする絵が描けたらいいなと思って描いている。無理かもしれないが、毎回挑戦してる、つもり、だ、が。

宇治十帖 〈橋姫〉〈椎本〉〈総角〉〈早蕨〉〈宿木〉〈東屋〉〈浮舟〉〈蜻蛉〉〈手習〉〈夢浮橋

2021年4月24日土曜日

源氏物語 第四十五帖 橋姫より 薫、姉妹を垣間見る

 2005年頃の製作。貝覆い貝で源氏絵を描いた最初の頃の作品。画題は宇治十帖から一帖一場面を選んで、とにかく描いて見ようと思って描いた。
 宇治十帖を選んだのにはそれなりの理由があった。源氏絵を描く場合ある程度の古典の素養と有職故実の知識が無いとひどい目にあう。姫君一人登場すれば本文に何も書いてなくても、地位と年令に見合った装束が必要になる。また、季節や状況、さらに姫君の性格によっても様々に変わってくる。その情景をパズルを解くように組み立てて描いてゆくのは楽しい作業になると思うが、貝覆い貝を描き始めた頃にそんな知識も余裕も無かった。装束に夏冬の区別があるくらいの知識しか無い。そこで古典絵画をお手本にしようと思いつく。源氏物語を辞書いらずで読んでいた時代、日常生活で装束を着用していた時代の絵画なら考証などいらない、そのまま参考になるはずだ。
 有名な隆能源氏(国宝源氏物語絵巻)は平安末期に描かれた。紫式部が源氏物語を描いてから約百年後になるが、源氏物語を扱った最古の絵になる。まだ装束が日常だったはずだ。幸いにも隆能源氏には宇治十帖が何点か残されている。十分参考になると、あまり迷うことなく宇治十帖の制作に取り掛かった。

 秋の末、八の宮は四季ごとの念仏を行うので、阿闍梨の住むお堂で七日間のお勤めの為に宇治の山荘を留守にします。それを知らない薫は八の宮に会うため、久しぶりに宇治を訪ねました。山荘に近づくと美しい琵琶と箏の音が聞こえて来ます。しばらく隠れて聞いていましたが、宿直人が出て来て、八の宮の不在を告げます。薫は琵琶と箏の調べが気になり、宿直人に音がよく聴けるところに案内を願います。

源氏物語 第四十五帖 橋姫

【本文】
あなたに通ふべかめる透垣の戸を すこし押し開けて見たまへば 月をかしきほどに霧りわたれるを眺めて 簾を短く巻き上げて人びとゐたり・・・内なる人一人 柱に少しゐ隠れて琵琶を前に置きて 撥を手まさぐりにしつつゐたるに 雲隠れたりつる月の にはかにいと明くさし出でたれば 扇ならで これしても 月は招きつべかりけり とて さしのぞきたる顔 いみじくらうたげに匂ひやかなるべし 添ひ臥したる人は 琴の上に傾きかかりて 入る日を返す撥こそありけれ さま異にも思ひ及びたまふ御心かな とて うち笑ひたるけはひ 今少し重りかによしづきたり

【意訳】
 姉妹の部屋に通じているらしい透垣の戸を、薫が少し押し開けて御覧になりますと、月に風情よく霧がかかっているのを眺めながら、簾を短く巻き上げて、女房たちが座っていました。・・・内側にいる人が、ひとり柱に少し隠れ琵琶を前に置いて、撥をもてあそびながらいると、雲に隠れていた月が、ぱあっと大変明るく差してきたので、「扇でなくても、これで月を招き寄せることができるのね」と、少しのぞいた顔が、たいへん可愛らしくツヤツヤしていました。添い臥した方の人は箏の上に身を傾け「入る日を返す撥という話はあるが、変わった思いつきをなさるお心ですこと」と言って、にっこり笑っている様子は、今少し落ち着いた感じがしました。

 この場面を、隆能源氏を参考に描いた。

 しかし、古典絵画が絶対ではない。有名な話だが隆能源氏にも本文と食い違う絵が描かれている場面がある。剥落しているのでわかりづらいが、垣間見をする薫が冠直衣姿で描かれてる。しかし、本文ではこの後に老女房とのやりとりがあり、薫の装束が「やつしたまへると見ゆる狩衣姿」と書かれている。後世の加筆と言われているが、何も知らなければこのまま直衣姿で描いてしまうかもしれない。古典絵画でも注意は必要だ。

 実は、かろうじて冠直衣姿で描くことはまぬかれたが、他にやってしまった箇所がある。何を思ったか簾を御簾にしてしまった。無責任なようだが、自分でもよくわからない。本文も簾だし、隆能源氏も簾で描かれている。たぶん、宮邸だから「すだれ」は無いかなと勘違いをしてしまったか、全く何も考えず柱の間に下がってるのは御簾だろうと思ったか。他にもこの宇治十帖を描いた十点にはとんでもない間違いが結構ある。大勢の方々に見て頂きたいと思っているので、単純に知識が無かったでは済まされない。ネットの情報なんて嘘ばっかだよ、の、代表例になりかねない。

 このブログは私の描いた貝覆い貝を紹介したいという思いで始め、当初は貝覆い貝の絵と簡単な説明で一つの記事を終わらせようと思っていた。しかし、準備をしているうちに明らかに間違っている内容の絵を、なんの説明もなくwebにのせるのは、やってはいけないことと思えてきた。そこで今の私にわかる間違いは正直に申告、訂正したいと思っている。ただしあくまでも私のできる範囲であり、それ以上はこれをご覧くださった識者の方にご意見を頂けたら幸いと思っている。
 ただし、絵を作って行くのに絵面を優先した嘘もある。それは了承願いたい。千年以上前に書かれたフィクションをまるで見て来た様に本文に忠実にしかも美しく可視化したいという、極めてだいそれた試みを模索中なのだ。

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