2021年5月28日金曜日

源氏物語 第三十一帖より 真木柱 姫君、柱の割れ目に歌を残す

  あまり上手じゃ無い頃の作品が続いたので口直しに(なるかどうか分からないが)、最近の作品を紹介したい。2020年の制作。横浜高島屋で悠遊会という催事に参加させていただいてる。そこに出品した作品だ。

 髭黒の大将が玉鬘を迎えたために、北の方とはいざこざが絶えなくなります。そのことは北の方の父の式部卿宮の耳にも入り、立腹して北の方と姫君を引き取りに髭黒の屋敷に息子たちを向かわせました。


源氏物語 第三十一帖 真木柱の貝合わせ

【本文】
日も暮れ 雪降りぬべき空のけしきも 心細う見ゆる夕べなり いたう荒れはべりなむ 早う と 御迎への君達そそのかしきこえて 御目おし拭ひつつ眺めおはす 姫君は殿いとかなしうしたてまつりたまふならひに 見たてまつらではいかでかあらむ 今なども聞こえで また会ひ見ぬやうもこそあれ と思ほすにうつぶし伏してえ渡るまじと思ほしたるを かく思したるなむ いと心憂き などこしらへきこえたまふ ただ今も 渡りたまはなむ と待ちきこえたまへど かく暮れなむに まさに動きたまひなむや 常に寄りゐたまふ東面の柱を人に譲る心地したまふもあはれにて 姫君 桧皮色の紙の重ねただいささかに書きて 柱の干割れたるはさまに笄の先して押し入れたまふ
  今はとて 宿かれぬとも 馴れ来つる 真木の柱は われを忘るな
えも書きやらで泣きたまふ

【意訳】
 日も暮れて、雪が降って来そうな空の景色も、心細く見える夕方でした。「ひどく荒れて来そうですよ。お早く」と、お迎えの公達はご催促申し上げるが、お目を拭いながら虚ろでいらっしゃいます。姫君はたいそう父君に可愛いがられていたので、お目にかからないではどうして立ち去れようか。二度と会えないことになるかもしれないとお思いになりますと、「このまま去ることは出来ない」とうつ伏せになったままお考えでいるのを「そのような思いでいらっしゃるとは、とても情けない」などとおなだめなさります。今すぐにも、お父様がお帰りになるのではとお待ち申し上げなされますが、このように日が暮れてきましては、とてもお戻りにはなりません。
 姫君は、いつも寄りかかっていらっしゃる東面の柱を知らぬ人に取られてしまうのも悲しくて、桧皮色の紙を重ねたのにほんのすこししたためて、柱の干割れた隙間に笄の先でお差し込みなされます。
「今はもう、この家を離れて行きますが、馴れ親しんできた真木の柱は、わたしを忘れないで」
 最後まで書き終わることができずにお泣きになります。

 柱に歌を挿しているのが松襲の真木柱、この時まだ十二、三歳なので衣装は細長を想定した。雪の下襲の小袿姿は髭黒の北の方、その下の女房は萌葱匂襲、薄桜重ねの中将のお許。左の女房は紅梅匂重ねの木工の君、木工の君は髭黒大将付きの女房なので、真木柱達とはこの後に別れることになる。見送るように、一人向きを変えた。
 真木の柱とは、檜や杉などでできた太い丸柱をいう。本文には無いが、庭には「待つ」を暗示させる松の木を大きく描いた。真木柱の松襲もそれに由来する。


2021年5月22日土曜日

源氏物語 第五十四帖 夢浮橋より 小君、薫からの手紙を渡す

 浮舟の住む小野へ、浮舟の弟の小君が、横川の僧都と薫からの手紙を携えて会いに来ます。浮舟は、簾から覗き見た弟の姿に懐かしさを覚え、母を思い出し涙ぐみます。小君は母屋の際に几帳を立てて招かれます。

源氏物語 第五十四帖 夢浮橋の貝合わせ

【本文】
几帳のもとに押し寄せたてまつりたれば あれにもあらでゐたまへるけはひ 異人には似ぬ心地すれば そこもとに寄りて奉りつ 御返り疾く(とく)賜はりて 参りなむ と かく疎々(うとうと)しきを 心憂しと思ひて急ぐ 尼君 御文ひき解きて 見せたてまつる ありしながらの御手にて 紙の香など 例の 世づかぬまでしみたり

【意訳】
 几帳の方に押し寄せいたしましたので、不本意ながらとお座りになる気配、それが他人とは思えぬ気がするものですから、すぐそこに近寄ってお手紙を差し上げなさいます。「お返事を早く頂戴して、帰りましょう」と、このようによそよそしいのを、心苦しいと思って急がれます。尼君は、お手紙を開いて、お見せ申し上げます。昔のままのご筆跡で、紙の香りなど、いつもの様に、有り得ないほどに染み着いていました。

 浮舟は薫からの手紙を見ても人違いだと言い張り返事を拒みます。小君は姉にも会うことも、手紙の返事をもらうこともできず帰って薫に伝えます。薫は浮舟が誰かに囲われているのではないのかと疑問を持ちながら、親子三代に渡る物語はあっけない形で終わります。

 初めて私の作品を見た方に何で描いてますかとよく聞かれる。手に取って覗き込む様に見ると一部の絵の具がキラキラと光って見えるかららしい。私が使うのは日本画の絵の具、それも岩絵の具を主に使っている。日本画の大きな作品だと見落としがちだが、岩絵の具は石や色ガラスを砕いて作るので、粒子の粗い絵の具はグラニュー糖の様にキラキラする。「日本画」までは良いが、プラス「の絵の具」が付くとあまり馴染みがないかもしれない。

 絵の具とは顔料を展色剤で溶いて基底材に定着出来るものだ。おおまかにその展色剤の種類で、亜麻仁油や芥子油だと油絵の具、アラビアガムだと水彩絵の具、卵を使うとテンペラになる。これらの絵は仕上がりが顔料の濡れ色になるので顔料の粒子の差で大きく色が変わることはあまりない。日本画の展色剤は膠を適度な薄さで使う。仕上がりは顔料そのものの色に近い。日本画の絵の具の顔料には色々な物が用いられるが、代表的なものはやはり岩絵具だろう。天然に産する物が多く自然からの頂き物だ。岩絵具は天然の鉱物や色ガラスを粉砕して作る。同じ絵の具でも粗い顔料は濃く、微細な顔料は白っぽく発色する。絵の具によって膠の濃度や溶き方、塗り方まで違う、混色が自由にできないなど色々な制約もある。しかし、美しいものを描きたいので美しい絵の具が必要だ。宗達の緑青、光琳の群青、若冲の辰砂、それはそれは美しい絵の具だ。現代の絵の具とは多少違うかもしれないが、同じ絵の具で絵を描くことができるのは幸せなことだ。先人達の足元にも及ばないが、美しい絵の具で少しでも美しい絵が描けたらと思う。


宇治十帖 〈橋姫〉〈椎本〉〈総角〉〈早蕨〉〈宿木〉〈東屋〉〈浮舟〉〈蜻蛉〉〈手習〉〈夢浮橋

2021年5月21日金曜日

源氏物語 第五十三帖 手習より 浮舟、出家して手習する

 横川の僧都は、女一宮の病の加持祈祷の為に下山し、小野へ立ち寄ります。かねてから出家を望んでいた浮舟は、出家を反対していた尼君が初瀬詣でて留守の間に、今この時と僧都に懇願して出家をしてしまいました。

源氏物語 第五十三帖 手習の貝合わせ

【本文】
思ふことを人に言ひ続けむ言の葉は もとよりだにはかばかしからぬ身を まいてなつかしうことわるべき人さへなければ ただ硯に向かひて 思ひあまる折には 手習をのみ たけきこととは 書きつけたまふ
  なきものに 身をも人をも 思ひつつ 捨ててし世をぞ さらに捨てつる
今は、かくて限りつるぞかし

【意訳】
 出家した翌朝に浮舟は不揃いに切られた髪を気にしながらも、思っていることを人に言い続け言葉にするようなことは、もとより上手くできない身なのに、まして親しく話の相談に乗ってくれる人さえいないので、ただ硯に向かって、思い余る時には、手習いだけを、精一杯の仕事として、お書きになられます。
「死んで全てを清算しようと、我が身も愛しい人もと、思って、捨てた世を、死に切れずにさらにまた出家という形で捨てたのだ。」
 今は、こうしてすべてを終わりにした。

 時期は九月、手習に勤しむ浮舟を描いた。手前の人物はお付きの女房のつもりで描いた。小野の住まいは本文で簡単に触れていて、山の斜面にあるという。イメージは懸崖造りのお寺だ。宿木で高欄にふれた。もう少し上手に描けるまで高欄は書きたく無かったが懸崖造りの建物に手摺りが無いのは考えられない。どうしてもここで描かざるをえない。しかも金箔下地のところは修正も難しい。何度も練習してやっとの思いで描きあげた。けっして上手では無いが、私にとっても手習いだった。

 私が初めて見たのはずいぶん昔になるが、東京国立博物館には後藤一乗作の吉野龍田図大小揃金具という刀装小道具が時々展示されている。たいへん美しく非常に細かい細工が施されている。しかも、小柄、笄に、大小の鐔と目貫という刀装小道具では大掛かりな揃い物だ。その龍田の鐔に「時年七十四作」と銘がある。七十四歳の時の作品だ。若い時は、あの技術がそんな歳まで継続できるなんてとても思えなかった。一乗には上手な門人がたくさんいるので、すこし疑ったりもしていた。でも今はそう思っていない。一乗とは比べるレベルが全く違うが、この宇治十帖を描いた時より今は確実に上手くなっている。この四月に六十四歳になった。しかし、最近手が効かなくなったとか細い線が引けなくなったとかも無い。視力だけは眼鏡の世話にならないといけないが、まだまだ描けそうなので続けられるうちは描いてゆきたいと思う。いつまでも手習いだ。

 後で小耳に挟んだ事だが、この時代は机の上で文字を書く習慣は無かったかもしれないとのことだ。申し訳ないが未確認事項である。また、右に板壁を置いたが、少し怪しい。蔀戸か、縦張りの板壁が良かったかもしれない。

宇治十帖 〈橋姫〉〈椎本〉〈総角〉〈早蕨〉〈宿木〉〈東屋〉〈浮舟〉〈蜻蛉〉〈手習〉〈夢浮橋

2021年5月19日水曜日

源氏物語 第五十二帖 蜻蛉より 薫、女一の宮を垣間見る

 蓮の花の盛りの頃、明石の中宮は法華八講を催されました。五日目の法会が終わって人々が片付けを済ませて人の少なくなった夕方。薫はどうしてもお会いしたい僧がいるので部屋を回って探します。すると、襖が少し開いているところを見つけたので、中を覗くと部屋の奥の方までが見渡せました。

源氏物語 第五十二帖 蜻蛉の貝合わせ

【本文】
氷をものの蓋に置きて割るとて もて騒ぐ人びと 大人三人ばかり 童と居たり 唐衣も汗衫も着ず 皆うちとけたれば 御前とは見たまはぬに 白き薄物の御衣着替へたまへる人の 手に氷を持ちながらかく争ふを すこし笑みたまへる御顔 言はむ方なくうつくしげなり

【意訳】
 氷を物の蓋の上に置いて割ろうとして、騒いでいる人々が、女房三人ほどと、童とがいました。唐衣も汗衫も着ず、みな打ち解けている様子なので、一の宮の御前とは見えませんでしたが、白い羅の御衣を着ていらっしゃる姫が、手に氷を持ちながら皆はしゃいでいるのを、少しほほ笑んで見ていらっしゃるお顔が、言いようもなく美しく見えます。

 薫が女一宮を垣間見る場面だ。本文ではこの他に童が何人かいることになっている。器に入れた氷を前にしているのが女一宮。左の扇を持っている女房が小宰相の君。衣装の中に赤と浅葱のグラデーションが入っているが、五衣を表している。しかし、暑い時期なので五衣は無いであろう。じゃ、間に一枚も袿を着ないのかというとそうでも無いらしい。無いと絵として寂しいので入れたと記憶している。実際この時代何をどのように着ていたのかはっきりしていない。しかし、少し分かっていることもある。女房(宮中に仕える人)は裳唐衣、童は汗衫が正装である。使用人は仕える人の前では必ず正装で無ければいけない。そして、姫君は女房達の前ではゆったりと小袿姿で過ごす。本文には女房三人と童は「唐衣も汗衫も着ず」とある。これは稀なことで、暑さと女一宮のおおらかな性格を表しているのかもしれない。ただし、裳だけは付けなければいけない。
 えっ! 小宰相の君に裳が無いって、またやらかしたようだ。

宇治十帖 〈橋姫〉〈椎本〉〈総角〉〈早蕨〉〈宿木〉〈東屋〉〈浮舟〉〈蜻蛉〉〈手習〉〈夢浮橋

2021年5月16日日曜日

源氏物語 第五十一帖 浮舟より 匂宮、浮舟と宇治川へ

 如月の十日頃、宮中で詩会が催されるが、雪が激しくなり早めに打ち切られ翌日に持ち越されました。そのとき薫が何気に宇治に因んだ歌を口ずさむのを匂宮が聞いてしまいます。匂宮は宇治に残した浮舟が気になり居ても立ってもいられません。翌日、歌を献上するのもうわの空で、苦しい口実を作り、浮舟に会いに深い雪の残る宇治へ向かいます。宇治に着いた匂宮は川の向こうの家へ浮舟を連れてゆく手配をします。

源氏物語 第五十一帖 浮舟の貝合わせ

 【本文】
いとはかなげなるものと 明け暮れ見出だす小さき舟に乗りたまひて さし渡りたまふほど 遥かならむ岸にしも漕ぎ離れたらむやうに心細くおぼえて つとつきて抱かれたるも いとらうたしと思す 有明の月澄み昇りて 水の面も曇りなきに これなむ 橘の小島 と申して 御舟しばしさしとどめたるを見たまへば 大きやかなる岩のさまして されたる常磐木の蔭茂れり

【意訳】
 浮舟は、実に頼りないものと、日ごろ眺めていた頼りない小さな舟にお乗りになり、川をお渡りなさる間も、遥か遠い岸に向かって漕ぎ離れて行ってしまうような心細い気持ちがして、ひしっと寄り添い抱かれているのを、匂宮は、とてもいじらしいとお思いになられます。有明の月が澄み上って、川面も曇りなく見えているところに、「ここが、橘の小島でございます」と申して、お舟をしばらくお止めになりその先を御覧になると、大きな岩のような形をして、洒落た常磐木が茂っていました。

 対岸まで小さな小舟で川を渡るなか、心細さに打ち震える浮舟と、それをいじらしいと抱き抱える匂宮を描いた。この舟にはあと二人、右近が遣わした供の者と船頭が乗っているが野暮なので省いた。「されたる常磐木」は松の木で表現したが、下手なのはご容赦願いたい。
 前にも触れたが、この頃は有職故実の知識も無ければ、本の読みも甘い、というか拾い読みだ。この後本文は、翌朝の女君の装束に触れている。この頃に描いていた五衣(実際には三色だが)は、赤、淡緑、水色の濃淡しか使って描いていない。季節、題材に関係なくだ。最近は余裕が出来たのでちょっと捻って、季節や題材にちなんだ「なんとか襲」とかで描く場合が多い。
 これを描いてからかなり経った頃、源氏を読んでいると、女君の装束について「なつかしきほどなる白き限りを五つばかり(着馴らした白の五衣襲)」と書いてあった。該当するようなものに白を五枚重ねた梅染襲という襲の色目が有る。
 貝覆いの絵は赤桃白のグラデーションで描いている。明らかに間違いであるが、開き直る余地もあるかも知れない。梅染襲は、緑の単衣に、表が白、裏が濃き蘇芳(赤紫色)の袿を五枚重ねたものだ。この時代のお洒落は何枚もの布を重ね、色が微妙に透けて見えるのも楽しんだ。白の五衣襲だが、裏地が濃き蘇芳だとしたら偶然にも近い色目だったかもしれない。かなり苦しいかな。

宇治十帖 〈橋姫〉〈椎本〉〈総角〉〈早蕨〉〈宿木〉〈東屋〉〈浮舟〉〈蜻蛉〉〈手習〉〈夢浮橋

2021年5月14日金曜日

源氏物語 第五十帖 東屋より 薫、三条の小屋にて

 中将の君は、婚約を破棄された娘の浮舟を不憫に思い、二条院の中の君に預けることにしました。しかし、そこで匂宮の目に留まってしまいます。そのことを知って安心出来なくなった中将の君は浮舟を三条の隠れ家へと移しました。
 薫は宇治に訪れたときに中の君から聞いていた、亡くなった大君によく似ているという浮舟のことを弁の尼に尋ねて仲介を頼みます。弁の尼は、薫が用意した車で京に出て三条の隠れ家を訪れます。そして、宵を過ぎた頃に雨が降る中を、薫が三条の隠れ家を訪ねて取り次ぎを願います。

源氏物語 第五十帖 東屋の貝合わせ

【本文】
雨やや降りくれば、空はいと暗し 宿直人のあやしき声したる 夜行うちして 家の辰巳の隅の崩れ いと危ふし この人の御車入るべくは引き入れて御門鎖してよ かかる人の御供人こそ 心はうたてあれ など言ひあへるも むくむくしく聞きならはぬ心地したまふ 佐野のわたりに家もあらなくに など口ずさびて 里びたる簀子の端つ方にゐたまへり
  さしとむる 葎や繁き 東屋の あまりほどふる 雨そそきかな
とうち払ひたまへる追風 いとかたはなるまで 東国の里人も驚きぬべし

【意訳】
 雨が次第に降って来ましたので、空はたいそう暗くなりました。宿直人で変な声をした者が、夜回りをして、「屋敷の東南の隅の崩れが、とても無用心だ。こちらの客人の御車は入れるなら引き入れてご門を閉められよ。この客人のお供の物は、気がきかない」などと言い合っているのも、薄気味悪く聞き馴れない心地がいたします。「佐野のわたりに家もあらなくに」なとど口ずさんで、簡素な簀子の端の方に座っていらっしゃいます。
 戸口を閉ざしているのは、葎(むぐら)が繁っているのせいなのか。東屋に、落ちる雨だれの下で、あまりにも長く待たされることよ。
 と、雫をお払いになりますと、薫の香りが風にのって、周囲に芳しく漂い、東国の田舎人も驚いたに違いない。

 この後薫は隠れ家の南の廂の間に招き入れられ、浮舟と夜明けまで過ごします。

 ここも隆能源氏を参考にして描いた。構図等人物の配置は隆能源氏そのままで、左に伏しているのが浮舟、上にいるのが乳母、右が弁の尼と想定した。
 問題は建物。色々な註釈でこの三条の小家は「あやしき(粗末な)小家」と、扱われている場合が多い。額面どおりにそう思っていた。ただし、それは薫や浮舟の母君が、六条院や二条院と比べた感想であって、本文ではつくりかけではあるが「さればみたる(洒落た家)」とも書かれている。どうも、私が思っていた様な粗末な小屋ではなさそうだ。そこは、廂もあれば濡れ縁もある。立派な寝殿造りの建物なのだ。この絵を描いた時には、私にその寝殿造りのイメージが全く無かった。寝殿造りに人を配置して行くと、この小さな面積に納めるには多少省略が必要になる場合がある。それはそれで仕方ないのだが、せめて寝殿造りの構造を理解して頭に浮かべていたら、もう少しましなものになっていたかもしれない。
 まず、一般的な寝殿造りでは廂の外側、濡れ縁との間に壁は存在しない。右端にわずかに見える板壁はありえないだろう。妻戸は隆能源氏にも描かれている。場所が気になるが多分問題は無いと思う。その左、最初と同じ理由で、ここも鎧張り風の板壁はありえない。黒の蔀はあったかもしれないが、女性の隠れ家と想定すると、白木の方がしっくりとしたかもしれない。
 そもそも平安時代の住居について、あまり良くわかっていない。遺構は京都の地下に眠っているし、書物、絵画が手掛かりになるのだろうが、これだと言える物が思いつかない。源氏物語が書かれてから百年ほど経って絵巻が描かれたが、それこそ隆能源氏が最重要の資料なのだ。隆能源氏の「東屋」には母屋と廂の間がはっきりと分かれて描かれているが、粗末な家には廂の間はいらないんじゃないかと取ってしまった。なまじ浅はかな知識を持つとろくな事はない。隆能源氏に見える、薫の訪問を取り次ぐ様子はなくなってしまった。でも、薫の突然の訪問に慌てて相談する様子は、なんとか描いた。これがなきゃなんの話の絵かわからなくなってしまう。

 隆能源氏は広大な寝殿造りの建物をコンパクトに切り取って、実に巧みに描かれている。つくづく源氏物語の書かれた時代の世の中を見てみたいと思う。

宇治十帖 〈橋姫〉〈椎本〉〈総角〉〈早蕨〉〈宿木〉〈東屋〉〈浮舟〉〈蜻蛉〉〈手習〉〈夢浮橋

2021年5月7日金曜日

源氏物語 第四十九帖 宿木より 匂宮、琵琶を弾く

 宇治を訪れていた薫は、帰宅の途中に深山木に寄生している紅葉した葛を中の君のために取って戻ります。葛に文を添えて中の君へ送りますが、匂宮がいるときに届いてしまいます。匂宮は中の君に返事を書くように勧めてはいますが、自分に浮気な心が有るので薫との仲を疑っています。中の君はやましいところがないので面白くはありません。

源氏物語 第四十九帖 宿木の貝合わせ

【本文】
なつかしきほどの御衣どもに 直衣ばかり着たまひて 琵琶を弾きゐたまへり 黄鐘調の掻き合はせを いとあはれに弾きなしたまへば 女君も心に入りたまへることにて もの怨じもえし果てたまはず 小さき御几帳のつまより 脇息に寄りかかりて ほのかにさし出でたまへる いと見まほしくらうたげなり

【意訳】
 着なれた御衣に、直衣だけをお召しになり、琵琶を弾いていらっしゃいました。黄鐘調の掻き合わせを、たいそう美しくお弾きになるので、女君もたしなんでいらっしゃるものですから、物恨みもなさらずに、小さい御几帳の端から、脇息に寄り掛かって、わずかにお出しになった顔は、まことにいつまでも見ていたいほど可愛らしいご様子です。

 この絵も隆能源氏を参考にした。
 宇治十帖を選んだのにはまだ理由がある。主な舞台は宇治の山荘だ。主人の性格上、建物は質素な造りで高欄などは少ないはずだ。今でこそ、それほど苦とは思わないが、描き始めた頃、高欄は高いハードルだった。高欄だけならまだましだが、高欄付きの簀縁に人がいた場合、簀縁を描いてから人物を描く。その上に高欄の地色の具の黄土を塗って具墨で線を細く描き起こす。文章で書くとなんという事は無いが実際にやってみると思うように行かない。あの頃の私の技術では、具にした黄土はコテコテに盛り上がり、線描は途切れ途切れでガタガタになる。

 隆能源氏には高欄がついている。ここにきれいな高欄を描ける自信が無かったし、下手なものを描くと全てがぶち壊しになりそうだった。場所は紫の上ゆかりの二条院、チャチな造りなどはあろうはずも無いが、二条院でも高欄の無い所もあるんじゃ無いかなと、見てきた人もいないし。
 高欄はこのあと手習の建物で初挑戦だ!

宇治十帖 〈橋姫〉〈椎本〉〈総角〉〈早蕨〉〈宿木〉〈東屋〉〈浮舟〉〈蜻蛉〉〈手習〉〈夢浮橋

2021年5月3日月曜日

源氏物語 第四十八帖 早蕨より 中の君、蕨を贈られる

 宇治の山里にも春の日差しは区別なく差し込みます。中の君は、すべてに共に生きてきた大君が亡くなり、父宮が亡くなった時よりも強く悲く鬱々とした日々を過ごしています。

源氏物語 第四十八帖 早蕨の貝合わせ

【本文】
阿闍梨のもとより 年改まりては 何ごとかおはしますらむ 御祈りは たゆみなく仕うまつりはべり 今は 一所の御ことをなむ 安からず念じきこえさする など聞こえて 蕨つくづくしをかしき籠に入れて これは 童べの供養じてはべる初穂なり とて たてまつれり 手は いと悪しうて 歌は わざとがましくひき放ちてぞ書きたる
  君にとてあまたの春を摘みしかば 常を忘れぬ初蕨なり
御前に詠み申さしめたまへ とあり

【意訳】
 山の阿闍梨の所から「年が改まりましてからは、いかがお過ごしでしょうか。ご祈祷は、怠りなくお勤めいたしております。今は、あなた様の事を、ご無事にとお祈りいたしております」などとしたため上げて、蕨や土筆を風流な籠に入れて、「これは、童たちが供養してくれましたお初穂でございます」と、献上されました。とても悪筆で、歌は、わざとらしく放ち書きで書かれています。
「姫君にと思い恒例の春に摘みましたので、今年も例年どおりの初蕨でございます。御前でお詠み申し上げてください」とあります。

 姉の大君が亡くなり悲しみの中で暮らす中の君の所へ、山の阿闍梨より新年の挨拶と共に山菜が送られてきた。添えられた一生懸命に詠まれた歌に、心惹かれ感涙しているところを描いた。文を読んでいるのが中の君。他の二人はお付きの女房。「御前に詠み申さしめたまへ」とあるので、今だったら、女房が文を読み、中の君が袖を頬に当て感涙しているところを描くだろう。「をかしき籠」も、当時いろいろ資料を探して私なりに描いたつもりだが、かなり怪しいものになっている。初音にも籠が登場する。明石の君が娘に贈ったもので、洗練された美しい籠に違いない。ここでは山の阿闍梨から贈られた山菜を収めた籠なので、素朴で飾り気のない籠を描いた。高速道路のパーキングで、真空パックの山菜を詰めて売っているカゴにこんなのがあったような。

 貝覆いに使う貝には図案に一定のお決まりがあった。その中でも、制作するにあたり最初のハードルは源氏雲だった。源氏雲とは、金箔で雲を表現したもので、多くの場合、金箔の雲の中に点や亀甲柄の盛り上がった模様が描かれている。もちろん無地の金箔地に花鳥など描かれたものはあるが、そちらの方が珍しくほとんどの貝覆いの貝には、なんらかの形で源氏雲が描かれている。貝に源氏絵を描くには避けては通れない必須アイテムだろう。
 盛り上げを行うには、胡粉という貝殻を砕いてすりつぶした絵の具を使う。ただし、普通に溶いた胡粉では、点や線の真ん中が窪んでしまい、くりっと盛り上がらない。それを回避するため、狩野派には技法が残っていて、盛り上げをするのに起上胡粉という一度腐らせた胡粉を使う。ただし、名の通り胡粉を腐らせなければいけない。しかも長い時間をかけてだ。今すぐ描きたいのにそんな悠長なことはしていられない。この宇治十帖の源氏雲は水分をなるべく減らした花胡粉を使って描いた。その為、盛り上げた模様が平面的になってしまっている。
 起上胡粉については後で詳しく書くことがあると思う。

宇治十帖 〈橋姫〉〈椎本〉〈総角〉〈早蕨〉〈宿木〉〈東屋〉〈浮舟〉〈蜻蛉〉〈手習〉〈夢浮橋